蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

どこに向けて自己紹介するのか

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2021年4月1日 蛻変の記318号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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今日から新年度がスタート。
組織改編があったため、所属部署が変わる。
部署異動があると、より新年度だなと実感します。

新年度や異動の初日につきものなのが自己紹介。
今日だけで3回はしましたね。
自分のことを話すだけなのですが、周りとの関係性で大きく内容が変わる。
人のをきくのでも見えてくるものがあります。

私が今回経験した異動はすでにあるチームに合流するというもの。
チームの人数は40人弱で、元々そこにいる人と異動してきた人との比率が2:1くらい。
2/3くらいの人たちは残りの1/3の人に向けて自己紹介する。
約7割がよく知っている相手なんですよね。

一方の1/3の異動してきた人たちは全員が知り合いではないため、
約8割の人の知らない人に向けて自分のことを話す。
参加者をほとんど知っている人と知らない人ばかりという人との間での自己紹介。

全員分を聞いていて、各人が話す内容も大きく2つに分かれるように感じる。
顔見知りが多い人たちは、知らない人に向けての自己開示というより、
知っている人たちが知らないであろう話をメインにする。
自分はこういう人ですという前提がある人にむけて、
自分がまだ見せていない部分を出していたんですよね。

この自己紹介は全くはじめましての人には聞いていてツライんですよね。
知っているでしょという土台がないのに、いきなり荷物を載せられるため、
記憶に残りにくい。
メインの構成を決めていないのにオプションパーツだけ渡されている感じ。

かたや、はじめましての人の自己紹介は全員が知らない前提で話すため、
話が飛躍することなく、聞きやすいんですよね。
理解しやすい分、その人のことを知れたような感覚はより強かったように思います。
あくまで個人の感覚ですが・・・

今回の経験を通して、どこに向けて話すのか、話す目的を明確にする大事さを感じましたね。
常連客がお得感を感じるようにするのか、常連客より一見さんを大事にするのかみたいに
自分がどのようなスタンスをとるかで話す内容は変わる。
たった一分足らずの自己紹介といえども、
一対多のコミュニケーションをどう取るかということを考える良いキッカケになる。

また今月いっぱいお休みします

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2021年3月1日 蛻変の記317号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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今日から3月がスタート
2021年も早くも1/6が過ぎました。

タイトルにもあるとおりブログの更新を今月いっぱいお休みします。
会社員としてのお仕事が立て込んでいるのもあり、
心身の疲れが取れない状況が続いている。

お仕事に集中するためにも、休息の時間を増やすためにも
一旦お休みします。
4月1日から復帰するつもりです。

再開後、お付き合いいただけると嬉しいです。

想いがこもっているからこそ言葉にのって人に伝わる

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2021年2月27日 蛻変の記316号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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昨日は人のアウトプットに触れる。

ちょっとした工夫で、人の心理に働きかけて行動を変えていく
「ナッジ理論」の研究をしている竹林正樹さんの講演練習と、
clubhouseで劇団糸遊の方々の声劇とを体験しました。

竹林さんとはzoomでやりとりをする。
本番に向けて気になるところを挙げて欲しいとのご要望だった
ナッジ理論を聞いたことがない人向けの説明となっているか、という観点をもって聞く。
内容に集中するため、プレゼンターのビデオを非表示にしていた。
批判的にという気持ちを持っていないと、「へぇ〜」とか「そうなの?」とか好奇心が高まる話だったんですよね。
30分くらいのプレゼンがもうそんな時間がたったの?と思えた。

clubhouseでの声劇も同じく楽しい時間だった。
プロではなく社会人の趣味の集まりということだったが、頭の中に映像が浮かぶくらいの内容でした。
学生のときにラジオドラマを聴いていたことがある。
そのときの記憶が思い起こされるほど、懐かしくもある楽しい感覚に浸る。

一つはプレゼン、一つは声劇とアウトプットの種類は異なる。
どちらも共通しているのが声に自分の思いが乗っているということ。

自分が伝えたい想いや自分が楽しんで取り組んでいるということが
声を通して伝わってくる。
伝える中身の質が高いというのはもちろんあるとは思う。
中身をどう伝えるか云々ではない、自分の強い思いを感じる。
その思いをベースに伝わるにはどうするかを上乗せしていくので、
さらに人に伝わりやすくなる。

自分の想いを言葉にする。
人に何かを伝えるときの核になるものだと私は思う。
自分が楽しんでやっていることはなおさら強いものになる。
昨日、2つのアウトプットにふれることで、
私自身が人に何かを伝えるときに、その核を中心に話をしているのかと自分を省みる機会になった。
自分の内なる声にもっと耳を傾けていきたいものです

他流試合を通してたとえ話の幅を広げる

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2021年2月26日 蛻変の記315号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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今日は2ヶ月おきに通っている整体に体のメンテナンスに行く。
そこで体をほぐしてくれる人との雑談が自分の話すトレーニングになっている。

自分が今働いている業界のことや普段の働き方について、
仕事上は全く接点のない人に話す。
これは伝わるように話す訓練になるんですよね。
興味がないであろう私の話にリアクションして私が話しやすくしてくれる。
そんな話の聞き方の学びにもなる時間。

どういう仕事をしているのかを業界経験がない人にも分かるように話す。
相手に伝わりやすいように使うのがたとえ話。
「こういうところに苦労するんですよ。たとえば・・・」みたいに
自分の言いやすいことを伝えてから、相手がわかりそうな例を持ってくる。
たとえ話が伝わると相手がノッてくれるので、例を使って話をすすめる。

この例を引っ張り出す訓練に最適の時間。
言いたいこととの抽象度をあげてから、相手の知っていそうなものを探し出す。
見つけたものに抽象度を下げて話を作る。
抽象度の上げ下げと似たもの探しの良い脳トレになるんですよね。
相手に伝わるかなぁという想像力、共感力のトレーニングにもなる。

一緒に仕事をしている人だと例が身近にあるものになりがち。
全く違う業界の人と話すときは「どうすれば伝わるか」と自分にかける負荷が強くなる。
こうしたら伝わるかなという発想が広がるのは、日常と違う関わりがあればこそ。
このような他流試合を重ねていくのは自分の成長につながっていくものです

毎日見る景色から気づいた人と接するときの心構え

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2021年2月25日 蛻変の記314号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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朝は犬の散歩から始まる。
平日はいつも決まったルートを歩く。
決まった場所から空模様を眺めるのが日課になっている

暦の上では春になったからか、東の空が明るくなる時間も少しずつ早くなる。
雲のない日もあれば、雲が多くて空が見えない日もある。
決まった時間に決まった場所から見る風景。
朝の風景という点では同じ構図だけど、内容は毎日異なる。

同じ時間、同じ場所でも見える景色は違う。
朝日の照り方、雲の形、空の色どれをとっても全く同じものはない。
一番違うのは自分の意識かもしれない。
同じような空かもしれないけれど、違うという前提ではじめから見てるんですよね。

毎日同じ場所から見る風景は毎日違うと思って過ごしている。
景色は違うと思っているのに、毎日接している人はどうだろうか。
「Aさんは依頼してからの動き出しが遅い」とか「Bさんはいつも適当なことを言う」とか
自分の先入観にとらわれていることがある。

日が変わったら、人を見る目も新しくする。
毎日何かしら発見できるように、自分の状態をリセットしておきたいものです

子どもの反応が教えてくれる小学校の影響力

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2021年2月23日 蛻変の記313号

今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。

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今日はカレンダーでは初めての天皇誕生日

娘に「今日は何の日?」と聞くと、

「令和天皇の誕生日」と返ってくる。


天皇誕生日と知っていたのはいいねと認めた上で、

今上天皇という言い方をするんだよ、と教えたんですよね。

すると、「違うよ、先生が言ってたから、これでいいんだよ」という返しをもらう。


小学校で教えることと、家庭で言っていることが異なる。

娘に学校と家で違うことを教えると混乱するので、出来るだけ避けたいんですよね。

今回は訂正しないと、間違って刷り込まれる。

家の方が今回は正しいんだよと教える。

「先生は分かりやすくするために、そう言ったのかもしれないけどね」とフォローしながら。


子どもにとって先生は絶対的な存在なんだなと改めて感じましたね。

「先生がこう言ったから」で無条件に受け入れる。

家庭で「違うんじゃない?」と指摘しても、学校と違うとなる。

違うと思った根拠が先生と言うことが違うから。

土台となる知識が先生の教えたことになる。


自分の伝えたことが人の知識の元となる。

つくづく小学校の教師は責任の重い職業の一つだと思います。

その人のこれからの人生に自分の言葉が影響するかもしれないですからね。


今日のように家と学校で言うことが違うというのは、「どういうこと?」となるきっかけになる。

親としては出来るだけ学校で教えることを尊重しつつも、

娘には自分の頭で考えて自分で調べるクセをつけて欲しい。

そんなことを思った、祝日の朝

口を挟みたくなるのは不安の表れ

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2021年2月21日 蛻変の記312号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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小二の娘はご飯に文句をつけては嫌々食べる。

成長するにつれてブツブツ言う量も増える。

さすがに我慢の限界。

週末限定で娘に朝ごはんを作らせることにしました。

 

メニューもどうやって作るかも全て娘にお任せしてます。

ガスコンロに火をつけるとき以外は手を出さない。

自分と手順が違っても口は出さない。

 

この口を出さないのがかなり辛い。

スクランブルエッグを作るために、卵を割る。

その手つきが危なかっしかったり、

卵を混ぜるときにボールからこぼれそうになったりすると、

声を出したくなる。

 

信じて任せる。

仕事でも我慢を強いられる。

娘相手なら尚更、忍耐力が必要になる。

 

何かをやっているときに口を挟みたくなる。

これは自分の見てる世界にとどまっているから。

相手が何を見て、何をしようとしているのかを無視。

自分から見て、こうなりそうという不安がある。

その不安に負けて口を出してしまうんですよね。

 

仕事でも家庭でも一旦人に任したら、

どんと構えていたいものです