蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

身に周りのものに「?」をつける

8月に入って小学生の娘が夏休みに入る。
夏休みの宿題の一つが、1学期に育てたミニトマトを観察するというもの。
観察対象のミニトマトが娘いわく
「かなり大きく育ったから、一人で持って帰れない」。
仕方無しに、一緒に小学校に取りに行く。

苗を見てみると、娘の身長と同じ130cmくらいまで立派に育つ。
一人で持って帰るのも嫌がるのも納得の大きさ。
青い実がいくつかなっており、赤くなるのが楽しみ。

家に持って返ってじっくり見ているとチラホラ葉っぱが枯れている。
取らないとなと思い、その枯れた葉っぱが生えている枝を触った瞬間、
ぽろっと枝ごと自然に落ちる。

「うわっ、取れた!」と初めてみた現象に娘と驚きましたね。
「勝手に落ちるんやね、なんでやろ?」と娘に問いかける。

「葉っぱが枯れだすとそこに栄養が行かないように自分で流れを止めているのかなぁ」とか、
「実ができ始めたからそっちに栄養が行くようにしているから葉っぱが枯れるんじゃない」など
娘が自分の考えたことが出てくる。

「枝が落ちるようになっている」ということから自分で問いを立てて、仮説を出す
そういうことができるようになったんだなぁと、親バカが全開になる。
自分の出した仮説がすでに検証され、
検索すれば同じ答えが出てくるものがどうかは関係ない。
自分で考えて、こうなのでは?と思うプロセスを親としては尊重したいですね。

他人が作った問いへの答えを出す。
そこを大事にすると、自分で考える過程をすっ飛ばして、答えを求めるようになる。
それはクイズ番組にスマホで検索しながら答えるようなもの。
そのやり方だと、自分の知識に、なっていないとおもうんですよね。
同じ問題が出ても答えられない。

自分で考えたことを検証しながら進めるのは仕事も同じ。
答えを求める人は、全て自分が分かるように指示されないと、自分で進められない。
自分にすべて任されると、答えがないため行き詰まってしまう。

主体的に物事を進めていくには、相手の要望から自分で問いを立てて、仮説をつくる
出した仮説を相手と検証して進めていく。
作業ではなく、仕事ではこの一連のプロセスが求められると私は思います。

というようなことをミニトマトの枝が落ちたことに出してくれた娘の仮説から思っていました。
親バカの身としては、世の中で広く知られた答えより、
自分はどう考えたか」で出した答えを言ってくれるのがうれしいものです。

常識となっているものを違う角度からみたらどのように見えますか?