蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

自分の中の辞書を改編しないと定義した言葉に縛られる

ハリネズミみたいな人やから」

今から20年近く前に知り合いが私のことを評して周りにいっていた言葉。
私自身が心を許さないかぎり威嚇しつづける。
許した途端に針を引っ込めるけど、油断したらすぐ出す。
仲いい人が近くにいても、出し入れ自由。
引っ込めたときに不用意に手を出すと刺される。

言われたい放題の感はあるものの、
当時の自分にとって的確に表現していると思い腹落ちした記憶があります。
時間が立てばこういうは薄れるかなと思っていました。
心にすっぽりとはいった言葉ってなかなか抜けないものなんですね。

というのは日々、色んな人と仕事をしたり、接点があったりします。
自分の心の壁を全開にしているのを自分の中で感じるときがよくある。
話しかけるなオーラに近いもの。
人の心に土足で入ってくるようなものに対して排除する、そんな感じ。

適当にやり過ごせず、人と距離を取ろうとするときに、
昔言われた言葉が思い起こされる。
「自分はハリネズミやから仕方ない」と言い聞かせている感じ。
自分としては色々と経験を積んでいるのに、未だにこの言葉に縛られている。
「いい加減脱却したいな」と思う一方で別にいいかなとも思っている。

行動に移せないのは「何のため」が自分の中で見つかっていない。
「なぜ、ハリネズミみたいな行動をやまないと行けないのか」と
自分に問うても、止まってしまう。
これまでの自分の行動を正当化する問いしか浮かんでこないんですよね。

自分の行動を決めてきた言葉を入れ替える言葉や問いが見つからない。
自問自答しても自分の世界から抜け出せない感じがある
ウィトゲンシュタインが言うところの
私の言語の限界は、私の世界の限界である」どおり。
自分が受け入れたものを塗り替える言葉がないため、今の世界のまま。
自分の世界を変えるには、別の見方や言葉をインストールするしかない

自分に染み付いている言葉はありますか?

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