言葉や眼の前のことに反応しないために別のことで心を満たす
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2021年1月10日 蛻変の記274号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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自分の思い込みを外すことで見えてくるものがあるという話を昨日しましたが、
今日もその続き。
同じ人を相手にするとき、常に初対面のような気持ち、色眼鏡を欠けずにみるのが大事。
大事だとは分かっていても、実践となるとなかなかやりきれていない。
人は欠けているものがあると自然とそこに目が行く生き物。
できていることよりもできていないことに注目する。
丸を書こうとして「C」になっていると、書けている部分より
欠けている部分が気になる。
人の場合、欠けている=できていない部分なので、そこに対しての修正に熱が入る。
熱が入るだけであればよいが、口調がきつくなったり、イライラしたりと
自分の感情を害して、相手を責めることになる。
私がこの思考に陥りやすいのは娘と接しているとき。
勉強やピアノの練習を見ていても、注意したことができていないとイライラしてくる。
自分の心の中が指摘事項で埋め尽くされているんですよね。
どう指摘するかという一点のみに意識がいき、他が見えなくなっている。
昨日、偉そうに違う一面を見ましょうと書いておきながら、
今日も同じ過ちを繰り返しそうになったんですよね。
自分の感情の波が高くなってくるのを感じましたが、今日はなんとか乗り切る。
自分の中でザワザワするのを感じたときに、まず昨日見た富士山をイメージする。
イメージを持ちながら自分の中でひたすら「ありがとう」を唱え続ける。
心の中を「ありがとう」だけで埋め尽くす。
ひたすら自分の意識を違うところにもっていく。
区切りの良いところで、声をかけるのだが、オープン・クエスチョンで問いかける。
「ここはどうやって弾くんかな?」とか、「ここはどうやって書いたほうがええと思う?」みたいに声がけ。
ひとまず相手の考えを聞くようにする。
考えを聞いた上で、理想の状態と手段を確認。
こうすることで、今日一日は声を荒げることなく過ごすことができた。
できたとはいえ、たった一日。
明日も休日のため、娘と接する時間が多い。
心の平安を保てるか試せる絶好の機会。
この機会を生かして、「わかる」から「できる」にまでいきたいものです。