蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

特徴に引っ張られずにあるがままに見る

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2021年1月18日 蛻変の記282号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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「3番って言ってみて」

夕方、休憩がてらお茶を入れに行くと、妻に話しかけられる。
「何かあったの?」
「ええから、言って」
「さんばん」
「何か違う」と言い、娘にも同じように言わせる。
娘の発音が望んでいたもののようで、発音練習していた。

練習が終わってから、何があったのかを尋ねる。
仕事関係の人に、「その発音はおかしいよ」と言われたらしい。
注意を受けた悔しさがあるうちに正しい日本語の発音を覚える取り組みだった。

私の妻は中国人で、日本語を使って仕事をしている。
過去に発音がおかしいことが仕事の評価につながったことがあるらしく、
発音を注意されると標準語の抑揚を練習する。

夫婦二人のときはこの練習は常に手探りだった。
私は関西訛りあるため、標準語のイントネーションが今ひとつわからず
こんな感じじゃないの?とお茶を濁していた。
今は関東圏で育った娘がいるので、標準語の抑揚は娘に教えてもらっている。
「ちゃんとした先生ができてよかったわ」と妻は嬉しそうに語るものの、
表情には悔しさが感じられる。

この手のことがあるたびに、発音を指摘する人は何がしたいんやろうなぁという気分になる。
文書やメールで書いている内容を読み間違えたならまだしも、
正しい内容を伝えているのに何が不満があるのか、私には理解できない。

文章中に「みかん」とあって、口頭でも「りんご」と伝えたならば、
「どっちが正しいの?」と指摘するならまだ分かる。
文章中に「りんご」とあって、口頭でも「りんご」と伝えているため、
受け手にとって得られる情報に何の違いもない。

それをわざわざ発音がおかしいよと指摘する。
揚げ足を取って優越感に浸りたいのか。
もしくは親切心で教えているのだろうか。
後者だとすると、自分でも意識していない偏見がでているのかもしれない。
この無意識での偏見というのは自分でも知らずしらず出るもの。

私も思わず出る偏見というのはある
例えば、欧米系の容姿で名前もカタカナ表記の方で流暢な日本語を話された場合、
「日本語、お上手ですね」と話しかける。
よくよく聞いてみると、日本生まれの日本育ちで、むしろ英語の方が苦手なんてことがある。
これが見た目も名前も日本風な方であれば、「日本語、お上手ですね」とは言わないですよね。

何か特徴的な情報があると、そこにとらわれ、現状を見誤ってしまうもの。
そんなときほど、一つのことにとらわれずに物事をあるがままに見ようとしていたいものです