蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

娘の笑顔を通して自分の父親の気持ちを追体験する

==============================
2021年1月31日 蛻変の記295号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
=============================

「パパ、こんなのも出たんだね」

娘の通院の後に買い出しでスーパーに寄ったときのこと。
テレビやネットでほとんど話題に上ることが少なくなった鬼滅の刃
未だにというのもおかしいですが、娘のブームは続いている。

緊急事態宣言は出ていても、そんなことはお構いなしに通っている病院の待ち時間が長い。
手持ち無沙汰で時間を過ごさなくても良いよう本をもたせるようにしています。
最近は鬼滅の刃のみが娘のお供に選ばれる。

診察を待つ間、鬼滅の刃を読み耽る。
大人しく、読むだけでなく、ここ面白いよプレゼンがもれなくついてくる。
しかも同じ場面同じ話にもかかわらず、あなたに話すのは初めてですよね、くらいの
熱量で語りかけてくる。

同じネタでも新鮮に聴ける噺家さんみたいなものではないので、相づちもそこそこいい加減。
相手の反応構わず、話をぶっこんでくる。
「反応返すまで話し続けられますよ」ぐらいの圧をかけてくる。
テレビ越しのイメージしかないですが、話す圧の強さはアンミカさんやフワちゃんなみ。

このご時世なので、おしゃべりは控えようねという掲示物があって、本当によかった。
そのポスターを指差し、ようやく黙るくらい鬼滅愛は続いています。

そんな鬼滅愛にあふれる娘と診察終わりにスーパーに寄る。
病院で注意してから大人しく待てたのと、買い出しのお手伝い駄賃代わりにお菓子を一つ
買って良いことにしています。
すでにどのお菓子にするかは決めていたようで、売り場に連れて行かれる。

目当てのものに行く前に、娘の目が陳列棚に奪われる。
そこには「鬼滅の刃マンチョコ」が鎮座していた。
「パパ、こんなのも出たんだね」というセリフとともに足を止める。
「こんなパッケージなんだ、へぇ」と言いながら、
鬼滅の刃マンチョコを手にとって見ていた。

娘の中ではすでに心に決めたお菓子がある。
鬼滅の刃マンチョコを選ぶとそのお菓子は変えない。
そのお菓子を選ぶと鬼滅の刃マンチョコは買ってもらえない。
よほどのアピール材料がない限り、父親は原理原則を曲げないことを娘は知っている。
ほしいなぁという直接的な言葉をつかわず、イジイジしていた。

その様子に思わず「買ってええよ」と言ってしまう。
しかもお一人様一つまでやから、2つまでええよ、とまで。
これには娘も驚いたようで、満面の笑みでかごに入れていた。

その笑顔を見たとき、自分の父親もこんな気分だったのかなという思いになる。
自分が小学2年生の娘と同じ年くらいにビックリマンチョコが流行っていた。
シールだけ取って中身を捨てるのがニュースになっていたのを覚えています。

ビックリマンチョコを買ってはキラキラシールが出るかみたいな感じで、
兄弟でワイワイ盛り上がっていた。
また、これかよみたいに悪態をつくこともしばしば。
その様子を見ていた父親が箱買いしてくれたことがある。
しかも兄と私に一箱ずつ。
誕生日やクリスマス、こどもの日でもない全く普通の日に買ってきれくれたんですよね。
何でも買ってくれるという環境ではなかっただけに
このときのサプライズは今でもはっきりと覚えています。
無駄な買い物と母親に文句を言われながらも、嬉しそうにしている父親の顔とともに。

普段なら「あかん!」と突っぱねる状況にも関わらず、
「ええよ」と言ったのもその時の記憶に引っ張られたのかもしれない。
過去の自分にしてくれた父親の行動があり、自分の目の前に同じ状況がある。
自分の過去の感情との一貫性を保つために、自然といいよといったのかなと思う。
娘の笑顔を通して、過去の自分の嬉しかった気分を味わいたかったのかもしれない。