恵方巻を買うようになって気づく親のありがたみ
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2021年2月2日 蛻変の記296号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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今日は節分ですね。
節分が2月2日になるのは、1897(明治30)年以来124年ぶりだそうです。
節分といえば恵方巻。
昼間にスーパーに行ってみると、野菜売り場以外は何かしらの恵方巻が売り出されていましたね。
私はこの恵方巻が子どものころから苦手でした。
子どものころは夕飯は毎日の楽しみの一つ。
毎日、今日は何かなとワクワクしていた。
節分の日は「お母さん、今日の晩ごはんは何?」と聞くまでもなかった。
我が家の恵方巻はしっかりした大きさがあったんですよね。
直径約7cmぐらいで長さは20cmくらい。
いま店頭に並んでいる太巻きと変わらない大きさですかね。
これが子どもの口には大きかった。
甘辛く炊いたしいたけやかんぴょうの味も苦手だった。
口いっぱいになる上に、苦手な味付け。
それを無言で食べ続ける。
私が太巻きが苦手なのを知っているため、逃げないように母親は横について監視していた。
自由に食べられないのもあってすごく嫌な思い出のみが残っている。
一人暮らしをするようになって、そのようなイベントから開放される。
関西で過ごしていたが、全く食べることがなくなっていた。
仕事の関係で関東方面に済むことになっても食べることはなかった。
娘が小学校に上がるまでは、保育園で節分の行事をしていたため、家ではなし。
小学校に入学して、節分で何をするかのイメージをハッキリ持つようになって
恵方巻を家で食べるようになる。
今の我が家で食べるのは出来合いのもの。
家で作ることはないんですよね。
改めて思い返して見ると、実家で出てきた恵方巻はすべて手作り。
しいたけもかんぴょうは家で炊いていたし、でんぶも作っていたような気がする。
卵焼きもせっせと焼いていた記憶がある。
家族のためにすべての材料を母親一人で作っていた。
大人になったいま、ぜいたくなものを食べさせてもらっていたんだなと感じる。
母親は専業主婦ではなく、夕方は働いていた。
そんな母親が時間を工面して作っていた。
買うこともできたはずなのに、材料を準備し一つずつ巻いていた。
仕事もある中で一生懸命作ってくれていた。
にもかかわらず、嫌悪感を示していたことを今では悪いことをしたなという思いになる。
子どものときにはわからなかったけど、大人になってからありがたみが分かる。
もっと早く気づければという思いは少しある。
そう思うようになるには、自分が親になる経験をしないとわからなかっただろうなとも思う。
自分への気付きへの出会いは遅すぎもせず、早すぎもせず訪れる。
自分が理解できるちょうどよいタイミングで訪れるのかもしれない。