自分の中の当たり前すぎることほど、疑う姿勢を持つ
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2021年4月5日 蛻変の記321号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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昨日、関東と関西では桜餅の見た目、形が異なるという話をしましたが、
今日もその続き。
桜餅という言葉自体は話し手と聞き手の間で誤解を生むことはほとんどない。
話し手の中で「桜餅とはこういうもので他にあるわけない」という前提があると、
聞き手に確認することなく、話を進める。
話を進めて初めて言葉が指しているもののイメージが異なることに気づく。
振り返って見て、改めて自分が傲慢だったと思う。
話の聞き手が日本とは違う文化の背景をもっているなどすると、
「こうだ」という決めつけはしないと思うんですよね。
自分の理解している言葉を絶対視せず、
私の持つイメージはこうですけど、あなたのところではどうですか?とか伝わりますか?
みたいなやりとりになるだろう。
その点で自分自身、「そもそも桜餅とは何か?」とか
「自分の知っている桜餅が誰にでも通じるものなのか?」とかの思考が及んでいなかった。
自分の頭の中が相手にとっても普通になっていたんですよね。
自分が正しいというスタンスを取るのではなく、
自分の中の常識や当たり前を疑うスタンスととっていたい。
「こうだよね」ではなく「そうなのか」となる姿勢で日々過ごしたいものです。