一日にある使途不明な時間
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2021年4月19日 蛻変の記330号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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「86400」
すべての人がもっている数字。
日付が変わると同時に1秒立つごとに1つ目減りしていく。
毎日日付が変わるたびに「86400」にリセットされる。
毎日与えられる貴重な資産。
このところ使徒不明なときが多い。
打ち合わせや何かの作業だったり、犬の散歩や家事だったりする場合は
明確に何に使っているかはわかる。
食後だったり、頭を切り替えるためにぼーっとしたりする時間も
意識して休養に当てているため把握はしている。
作業の合間だったり、休養から何かの行動に切り替えるときだったり、
意図せず時間が過ぎていることがある。
いつの間にかこんなに時間が経っているみたいな感じ。
次から気をつけようとか、こうした方が良いなみたいな改善しようともしていない。
ただ砂時計の砂が落ちているのをただ眺めているだけ。
休養に当てているならまだいい。
休養している意識すらない。
どれくらい使途不明時間はあるかをわからない。
ただ、すべての時間を主体的にきっちりコントロールしようという気はさらさらない。
一分一秒を無駄にしないように予定を組んだり、
人に振り回されたりする時間を削るというわけではない。
気づいたら貯金が減ってるのに、まぁ、ええかと受け流している。
自分で使っているのに、使っている感覚がない。
この浪費を自分で意図して課金しているものに変える。
そんな他愛もないことを、最近の自分の行動を振り返って考えている。