蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

自分の外にある力を借りて、自分の行動を変える

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2021年4月9日 蛻変の記325号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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朝晩の犬の散歩が日課です。
最近、散歩の途中に50mくらい全力で走るというのを取り入れています。

ビビりのうちのワンコが何かにびっくりしてリードを引っ張ったのに合わせて
走るようになったのがきっかけ。
散歩中に走っても良いというのを覚えて、
散歩中に一回は私に走りたいという合図を送ってくれる。

しっぽをあげて、こちらを振り返りながら少し早足になるというのが
走ろう!というサイン。
そのサインに合わせて走ると、ワンコははしゃぐように走り、実に楽しそう。
横で見ている自分も気分が良くなる。

ワンコの楽しみだからとはいえ、走るのはツライときがある。
体がだるいときとか今日は走らんでもええかなと思う。
私がそのような状態でもワンコは構わず走りたいアピールをしてくる。

「ちょっとだけやで」と思いながら一歩を踏み出すと
なんだかんだできっちり走る。
ワンコが気を遣って、速さはゆっくり目になっているかも知れない。

毎日の散歩もそうだが、散歩中のダッシュも自分一人だと続いていない。
ワンコという強制力と、一緒に走るよというアピールとがあるから出来ている。
誰かのため、誰かと一緒というのは自分の行動を変えやすい。

自分へのダメ出しから抜け出すためにやっていること

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2021年4月8日 蛻変の記324号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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心が弱ってくると、自分へのダメ出しが増える。
自分へのダメ出しが増えるから、心が弱ってくる。
どちらが先かはわからない、負の思考のループ。

負のループが始まると、感情がむき出しになりやすい。
ちょっとした刺激でも過剰に反応する。
反応して行動したことに対してまたダメを出す。
自分で自分に呪いをかけている。

今日もそんな状態にはまっていた。
そのモードに入ると周りの温かい言葉は受けとめられない。
聞いてはいるけど、自分の中に入ってこない。
荷物は受け取ったが玄関の外に置いてある感じ。

自分へのダメ出しモードに入ったら自分で抜け出すしかない。
これまでは時間に任せていたが、ようやく自力で脱出出来るようになってきた。
自分に呪いをかけているなと思ったら、
自分の好きな良い言葉がのっている自己啓発系の本とか、
子どもにこういう風に働きかけて見ましょう的な育児の本とかを読む。

その手の本を読むと何が良いか。
自分の目線、心の向きを良い方向に無理やり持っていく。
影ばかり追っている目線を光の方に目を向けるイメージ。

良い言葉に意識が向いている状態だと、呪いの言葉が減ってくるんですよね。
笑いながら怒れないのと同じで、ダメ出ししながらは良いところ探しはできない。

良いことに目を向けた状態で、直近のダメ出しをしていたところに
脳内タイムスリップする。
自分が嫌なことをする直前に戻る。
その場面をしっかりと思い出しながら、自分の良い方向に向かう言動をイメージする。
良いことが連鎖していく妄想を続けていく。
自分の理想の事が起こったようにイメージを作り変えていく。

本を読んで、妄想をする。
やっていることはそれだけなんですが、負のループからは抜け出やすくなりましたね。
本音を言えば、負のループに入らないようにしたいのですが、それはこれからの課題。

 

続けれは必ずのびるわけでもなく、やめると落ちるスキル

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2021年4月7日 蛻変の記323号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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朝晩と一日2回、ワンちゃんの散歩に行っています。

気温が上がってきたからか、ワンコも走りたそうにする。

車も来ず、誰も歩いていない道で短い距離ですが、全力で走っていました。

 

初めて走ったときはすぐに息があがる。

ぜぇぜぇ言いながら息を整える。

元の状態に戻るまで、走る距離の倍以上かかっていた。

 

毎日少しずつでも走っていると、段々と呼吸が続くようになる。

全力で走る距離も少しだけのびる。

息もあまり切れなくなってきたんですよね。

 

取り組み続けることで自分の変化を感じる。

運動は体の変化や走る時間や距離など結果がみえる化しやすい。

成長を実感すると続けていこうと思える。

 

変化を実感しづらいのは、継続するのがしんどいことがある。

話す力や書く力が該当するだろうか。

話すことや書くことは、受け手が結果を決める。

自分の中でめっちゃ上手くなったと思っても、相手が動いてくれないと、ただの自己満足なんですよね。

 

続けているからといって上手くなるものでもない。

「上手い」とは何かという問題はあるものの、これで誰でも動いてもらえるように話せる、書けるかというと違うのではと思っている。

 

ただ、やらないと下手になる実感はあるんですよね。

先月一ヶ月書くのを休んだだけで、書くスピードが落ちたり、内容をまとめるのに時間がかかってたりするようになっている。

 

やったらやった分だけ伸びるわけではない。

やらなかったらやらなかっただけ力は落ちる。

書く習慣を続けることで、思考力が上がらなくとも下がるのは食い止めたいものです

 

 

余計な一言を足す前に自分に問いかける

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2021年4月6日 蛻変の記322号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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このところ思考がぐるぐるしている。
自分なりに「こうだ!」と思えるものが見つからない。
それは「一言つけたしてしまう」ということ。

言わなくてもいいのにわざわざ言ってしまう。
言ったときには気づかなくても、後で「要らんかったわぁ」と思う。
話すだけでなく、書くのも同じ。

書かなくても意味が通じるのにわざわざ一言つけたしてくる人をみて、
自分は不快に思っているにもかかわらず、自分もやってしまう。
自分はやらんとこって思っているのにやらかす。

この「何でやってまうんやろう」というのに思考がぐるぐるする。
分かっているならやらなければいい。
ただ、それだけなんですけどね。

言うときは「相手のためになるはず」と思って言ってる。
言ったあとは「余計なお世話やな」と自己嫌悪になる。
わざわざ「余計なお世話ですけど」を付けて言っている。

親切とおせっかいの関係に似ているかもしれない。
どちらもエゴからきているか、利他の心の大きさで意味合いがことなる。
自己満足でやっているには変わりない。

口にする、文字にする前に「利他につながるか」を考える間が必要。
その問いに対して嘘や怪しい要素が入るなか、黙って置いたほうが良い気がする。
言いたいだけの自分が満足するための行動になる。

「言おうとしていることに嘘気は入ってませんか」と問いかける。
「本気です!」とならないことは黙るようにしよう。
必要なことだけを口にする大人になりたいものです

自分の中の当たり前すぎることほど、疑う姿勢を持つ

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2021年4月5日 蛻変の記321号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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昨日、関東と関西では桜餅の見た目、形が異なるという話をしましたが、
今日もその続き。

桜餅という言葉自体は話し手と聞き手の間で誤解を生むことはほとんどない。
話し手の中で「桜餅とはこういうもので他にあるわけない」という前提があると、
聞き手に確認することなく、話を進める。
話を進めて初めて言葉が指しているもののイメージが異なることに気づく。

振り返って見て、改めて自分が傲慢だったと思う。
話の聞き手が日本とは違う文化の背景をもっているなどすると、
「こうだ」という決めつけはしないと思うんですよね。
自分の理解している言葉を絶対視せず、
私の持つイメージはこうですけど、あなたのところではどうですか?とか伝わりますか?
みたいなやりとりになるだろう。

その点で自分自身、「そもそも桜餅とは何か?」とか
「自分の知っている桜餅が誰にでも通じるものなのか?」とかの思考が及んでいなかった。
自分の頭の中が相手にとっても普通になっていたんですよね。
自分が正しいというスタンスを取るのではなく、
自分の中の常識や当たり前を疑うスタンスととっていたい。
「こうだよね」ではなく「そうなのか」となる姿勢で日々過ごしたいものです。

桜餅から気づくコミュニケーションのズレ

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2021年4月4日 蛻変の記320号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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関東圏に住むようになって10年以上たちますが、
初めて桜餅が関東と関西で違うことを知りました。
生菓子を置いている和菓子屋さんに行くことも、
スーパーで和菓子コーナーに立ち寄ることもないので気づくことがなかったんですよね。

今日は妻と娘が電車に乗って埼玉県川越市に遊びに行っていました。
最寄り駅まで車で迎えに行き、家までの車中で
「お店で食べた桜餅が美味しかったから、お土産にも買ってきたよ」と娘から報告。
「桜餅食べれるようになったんやね」と言うと、
「今好きなお菓子、一位!」と笑顔で返してくれる。

娘はお餅が得意でないのに珍しいなぁと思っていた。
子どもが食べないので和菓子自体も家で食べることはほとんどないんですよね。
「家帰ってからも食べるからね」とかなりのはまり具合。

帰宅してから「これ!」と見せてくれたのは「あんこがピンク色のクレープにくるまれているもの」
「これが桜餅?」と反応すると、「これが桜餅じゃなかったら何?」と返される。
Google先生で画像検索して、「パパの言っている桜餅はこれ」とおはぎみたいな形をした桜餅をみせる。
娘にとってはクレープ状のものが桜餅と刷り込まれたので、
おはぎ状の桜餅が別物として認識されている。

自分が無知なだけなのですが、関東風のは長明寺、関西風のは道明寺というんですね。
初めて知りました・・・
今は全く思いつかないのだが、
同じ言葉でも地域によって内容が全く違うのは他にもあるのだろう。

言葉としては言っている方、聞いている方が正しくやり取りできているのに、
理解しているものは全くの別物。
自分の使っている言葉が相手にとって別のイメージがあるかも?と気にかける良いキッカケ。

無灯火の自転車からきづく相手からの見え方という視点

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2021年4月2日 蛻変の記319号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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去年から生活習慣が変わり、日が落ちてから外にでるのは犬の散歩くらい。
車を運転してどこかに出かけることはほとんどなくなった。
今日、久しぶりに日が沈みきってから、車で近所のスーパーまで買い出しに出かける。

街灯がない道のT字路を右折しようとしたときに、自分の右側を無灯火の自転車がすり抜ける。
車のライトの死角になっていた上に、全身黒系の服だったため、全く見えていなかった。
「危ない」と思ったと同時に、事故にならなくてよかったと心底ホッとする。

夜道を車の運転をする方からすれば、「自転車のライトつけて運転してよ」と強く思う。
自転車の側からすれば「付けなくても大丈夫」となる気持ちも分からなくはない。
自転車に乗っている方からは周りの状況が見えているから、「行ける」と思うのだろう。
自分が状況を把握できているために、車の側からも見えているはずと思っているのかも知れない。
これは自分が車からはどう見えているのか、という視点が欠けているんですよね。

自分は大丈夫と思っても、反対側の立場では全く異なるというのは
話し方や文章と同じ構図だなと感じる。
人の説明や書いたものは「面白くない」とか「分かりにくい」と批評しやすい。
自分が話したり、書いたりしたときに面白くて分かりやすくなっているかというと、
必ずしもそうなってないんですよね。

自分の言動が受け手にとってどのような印象を与えるのか。
人を指摘をしているのに、自分発信の場合、この視点が抜け落ちるときがあるんですよね。
自分の伝えているものが相手からみて受け取りやすくなっているのか。
今回の自転車のように、相手にヒヤッとさせていないか。
受けてから見た自分の言動を見直そうと思った良い機会でした。