子どもの反応が教えてくれる小学校の影響力
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2021年2月23日 蛻変の記313号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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今日はカレンダーでは初めての天皇誕生日。
娘に「今日は何の日?」と聞くと、
「令和天皇の誕生日」と返ってくる。
天皇誕生日と知っていたのはいいねと認めた上で、
今上天皇という言い方をするんだよ、と教えたんですよね。
すると、「違うよ、先生が言ってたから、これでいいんだよ」という返しをもらう。
小学校で教えることと、家庭で言っていることが異なる。
娘に学校と家で違うことを教えると混乱するので、出来るだけ避けたいんですよね。
今回は訂正しないと、間違って刷り込まれる。
家の方が今回は正しいんだよと教える。
「先生は分かりやすくするために、そう言ったのかもしれないけどね」とフォローしながら。
子どもにとって先生は絶対的な存在なんだなと改めて感じましたね。
「先生がこう言ったから」で無条件に受け入れる。
家庭で「違うんじゃない?」と指摘しても、学校と違うとなる。
違うと思った根拠が先生と言うことが違うから。
土台となる知識が先生の教えたことになる。
自分の伝えたことが人の知識の元となる。
つくづく小学校の教師は責任の重い職業の一つだと思います。
その人のこれからの人生に自分の言葉が影響するかもしれないですからね。
今日のように家と学校で言うことが違うというのは、「どういうこと?」となるきっかけになる。
親としては出来るだけ学校で教えることを尊重しつつも、
娘には自分の頭で考えて自分で調べるクセをつけて欲しい。
そんなことを思った、祝日の朝