蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

怒りの感情をぶつける前に本来の目的を思い返す

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2020年9月22日 蛻変の記188号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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昨日、私が小学生の頃、家族旅行に行くときは、助手席で地図を片手にナビ役をしていたという話をしました。
今日はその続き。

自分の記憶の中の父親は、短気で自分の決めたことを譲らない人。
休みの日にはお酒を飲んではいびきかいて寝てるという印象しかない。
典型的な一昔前の休日のお父さん、昭和のお父さんといったイメージがピッタリの人なんですよね、
そんな父親ですが、家族旅行のときに限ると穏やかな優しい記憶しか残っていない。

道案内役の私が寝ても、指示のタイミングが遅くても、道を間違えても怒られた記憶がないんですよね。
普段だと何かできないことがあると、烈火のごとく怒りをぶつけてくる。
旅行のときだけはそんなことは織り込み済みという感じでフォローしてくれる。
怒鳴っても仕方ないし、「次にどうするか?」を自分で考えればそれで良い。
任せた以上は責任をもってやらせる、動けないときはさり気なくフォローするという感じだった。

怒らなかった理由を父親に聞いていないので本当のことは知る由もない。
想像するに旅行そのものの目的から考えての行動だったのかなと思う。
「何時までに目的地に着く」であれば怒っていたかもしれないが、
「家族みんなで楽しい旅行の思い出にする」という目的からするとハプニングとして受け入れられたのかもしれない。

これって仕事でも同じなんですよね。
チームの誰かがミスをしたとき、その人を叱責しても現状は何も変わらない。
叱責することでミスをした本人が萎縮してしまう
そうなると聞き出したいことが引き出せなくなり、
仕事を前にすすめるという目的は達成しづらくなってしまうんですよね。

目の前の仕事を前にすすめるかという観点に立ったとき、
ミスをした本人を叱責する必要はないと私は思っています。。
私個人の考えとしては、ミスをした人が「次、こうする」という改善案を持っていたら、責める必要はないかなと。
ミスが発覚したり、ミスをしましたと周りに伝えたりした時点で本人は反省はしている。
現状どうなっているのか、次にどんな手を打たないといけないのかを考えるときに
担当者が普段どおりできるかは重要だと思っています。
反省はしていつつも普段の状態に近ければ、情報収集や次の一手を担当者から引き出しやすい。
ミスの対応が終わってから、振り返りで再発防止策を考えれば良いかなと。
怒鳴りつけて、ミスをした人を萎縮させても、怒鳴った人が満足するだけ。
対応が先、原因追求は後と切り分けたいものです

叱りつけるのは誰のためですか?