蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

似ているようでかなり違う「自責思考」と「自責の念」

どうして自分を責めるんですか?
 他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだからいいじゃないですか。

自分自身やチームでミスがあったときに送っているアインシュタインの言葉です。
お恥ずかしい話ですが、出典はわかりません。
名言集のまとめサイトで見つけたもの。

この言葉を投げかけるようになったのはチームビルディングに取り組んでから。
ここ3、4年ほど使っています。
それまでの私は個人主義な上に、周りを責めてばかりいましたね。
「こっちはちゃんとやってんのに、何やってんの?」とか
「こっちで決めたことが何でできないの?」みたいな感じ。

「俺の言うことを聞け、上手くいかないのは周りが悪い」という個人商店の状態でした。
様々なご縁が重なり、そこから脱却できている気はします。。
今は、「チームの絶対ルール『チームで楽しく仕事をする』のなかで主張する」みたいな働き方です。
「チームで楽しく」というのがポイント。
自分一人が楽しいと思っても誰かを踏み台にしていたらダメ。
自分も楽しく、周りも楽しくするにはどうすればいいかを考えて行動する。

自分だけでなく周りも楽しくするためには人のせいにする「他責思考」では難しいんですよね。
チームの空気が変わったとき、まず自分がどうだったかの「自責思考」で考える。
そうやって自責思考で考えるようになったとき、人によっては自にで負荷をかけすぎるときがある。
自分のことばかり考えるようになり、周りが見えなくなってしまう。
そのようなときに、アインシュタインの言葉を投げかけるようにしています。
どうして自分を責めるんですか?
 他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだからいいじゃないですか。」

自責思考だからといって自責の念にとらわれる必要はないんですよね。
何かミスをしたとき、「自分が責任を取る覚悟で、どうすればいいか」を考えるだけでいい。
「自分が悪い」「もっとこうしておけばよかった」と思う必要はないということです。
何かが起こった時点で、当事者意識がある人であればすでに自分を責めていますからね。
「申し訳ない」と一言みんなに伝えたら、それでおしまい。
自分ゴトとして考えていった結果、自分にダメ出しして自分を潰してしまっては元も子もないですからね。
チームの視点から見ると、自分を責める必要はないんじゃないかなと思っています。

ミスをしたとき、これからを考えるためにはどこに目を向けますか?