どうせ縛られるなら他人の言葉ではなく自分の言葉
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2020年9月17日 蛻変の記183号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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昨日の続き。
感情が動くことなく自然とやっていること自分の強みなのではと書いたのですが、
自分の中でどうも引っかかる。
9月16日の「今日のダーリン」にあった
「好きでやる」あるいは「好きになってやる」ことが、「おもしろい」ということなんだよなぁ。
この感覚が自分の中でしっくりこない。
自然とやることが自分の強みだとは思っているが、それが「おもしろいか?」と問われると
「う~ん」となってしまうんですよね。
何かモヤモヤしたまま、今日の日経新聞の朝刊の文化欄の記事を読んでいてハッとする。
「喜ぶ人の顔をみるのはうれしい。
それでも、誰かの役に立とうと思って頑張っているわけではない。
まず私自身が、初めて出合うおもちゃにわくわくし、直すことを楽しんでいる。
結果としてそれが、人のためにもなるのなら幸せなことだ」
「おもちゃドクター」として実費の部品代を除けば全て無料のボランティアとして
約20年間活動している角文喜さんの言葉。
この言葉を読んで、自分を動かしていた感情に気づいたんですよね。
自分にしっくりくる言葉は「おもしろい」ではなく「楽しい」。
しかもその楽しいからくるワクワク感がスタートで一瞬にして消えてしまう。
自分が動き出すと、やっていることに没頭没入するにつれて感情はどこか彼方へ。
ワクワクする感じは自分にとってプレゼントの包装のようなもの。
プレゼントを見て「わぁ」となると包装を破ったら中身に夢中になる。
包装を開けるまでの感覚が自分にとってのワクワク感に近いですね。
ワクワク感で動き出し、行動量が上がるにつれて感情がなくなっていくそんな感じ。
この記事を読んで私の中で憑き物がとれたようにスッキリしましたね。
好きでやっていることが、「楽しい」ということ。結果として、人のためになればいい
糸井重里サンの言葉と角文喜さんの言葉が合わさったのが自分にとって大事にしていることだなと思ったんですよね。
改めて思ったのが形容詞の使い方。
「おもしろいか?」と問われて私にはピンと来なかった。
「楽しいか?」と問われてもピンと来ない人もいるかなと思います。
言葉を少し変えるだけで自分の感覚を引き出せる量が変わる。
鍵と鍵穴のようなもの。
自分の中に眠っているものをひらく鍵を自分でもわかっていない。
自分に合う鍵が見つかったからといって、他の人に合うわけでもない。
どんな鍵があうかは人それぞれ違う。
自分にピッタリのものが見つかったからと言って押し付けるのは迷惑でしかないと思うんですよね。
自分には合ったんですけど、いかがですかね?くらいのスタンスでいたいものです。
「自分がワクワクするのはどんな言葉ですか?」