伝えていることが自分の中の常識になる罠
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2020年9月29日 蛻変の記195号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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「メールを読むのは当たり前じゃないんですか?」
今日、同僚と話していたときのこと。
この人は、何度も読み返さないと意味が読み取りづらいメールを書く。
メールについての考え方を聞いていいました。
対応期限など本文に書かれていないメールについて、
返事が来ないなど、憤っていたんですよね。
「イラつくのはいいけど、電話とかしたの?」と聞くと、
何のアクションもしていないという答え。
メールを送ってから何の働きかけもしていないのに、苛ついている状況。
その答えに「ひょっとして、メールが読まれるのが当たり前と思ってる?」と聞くと
「送られてきたメールに目を通すのが当たり前でしょ」という反応。
この答えのおかげで、自分の中で固定観念を持っていたことに気づけた。
私自身、メールは読まれないものという前提に立ってかんがえているんですよね。
読んでもらえるだけでありがたい。
さらに読んでくれた人が動いてくれるには?という考えでいました。
送られてきたメールを読むのが当たり前と考えている人は、
読むのが当たり前なら書いている内容をやってくれて当たり前と思っていたんですよね。
不明点があれば確認してくださいと本文に書いてあるので、
わからないところがあれば聞くのも読み手の責任ということらしい。
私はメールの書き方などを勉強会で伝えることがあるため、
自分の中で確立したものが常識となっていたことを反省。
己の中に持っている常識は他人と確認しあわないと気づけないもの。
人と話すことで、自分の中の思い込みを正す機会があったのはありがたい
「普通とは誰にとっての普通ですか?」