蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

他人の物語から自分の子育てと育てられ方を振り返る

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2021年2月12日 蛻変の記305号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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今日は参加している育児(自)コミュニティのイベントに参加してきました。
パパさんやママさんだけでなく、独身の方が集まり、フリートークする会。
それぞれのお子さんの年齢もバラバラなので、自分が普段接するのとは違う場面や価値観にふれる。

他の人の育児の話を聞いているとき、、自分の中での空想を3つの視点でやっています。
「親としての自分」、「過去の自分」、「過去の親」の3つ。

「親としての自分」は他の人のエピソードを聞いて、自分の子育てはどうしているのかを考えるというものです。
同じ場面で自分の子どもに対してどう接していたか、どう接するかをイメージする。
他の家の教育方法と自分のところの教育方法との照らし合わせですね。
それぞれの家の違いを感じたり楽しんだりというもの。

「過去の自分」の視点は、年齢が高めのお子さんのお話のとき、自分がその年齢のときどうしていたかを思いにふけるというもの。
自分はどうしていたかという行動を思い返すだけでなく、
どんな思いを感じていたのかという感情面も合わせて、自分の記憶をたどる。
だんだん遠い記憶になっているけれど、良い脳トレ
何かエピソードがないと振り返ることもないので、自分の原点を考える機会になる。

最後に「過去の親」の視点。
自分がエピソードにでてきた年齢だったとき、親はどのように捉えていたのだろうかと考える。
記憶の中の自分に対する親の接し方を振り返る。
親の目にはこんなふうにうつっていたのかなとか、こんな気分だったんだろうなという妄想をする。
過去の親の気持ちを追体験するという感じでしょうか。
あくまで想像しかないけれど、親の苦労がわかるような気がする。
過去の親のセリフを今の自分が使っていると感じる時もあり、自己嫌悪になることもありますが、
子どもとしての自分に親が向き合ってくれたことを感じる瞬間でもあります。

他の人の育児トークを聞いているとき、自分の中でこの3つの視点を切り替えています。
一番多いのは、過去の親との対話かもしれない。
本当はこんな風にしたかったんだろうなぁとか、
こういうことを伝えたかったはずなのに、違う表現になっていたんだろうなぁとか。
親も親で試行錯誤してたのかなと思うときがあります。
孫である私の娘には、自分に言っていたことと真逆のことを言っているのを見て、私自身不快になることがありました。
それも親としての経験を積み重ねた結果なんだろうなと今では思います。
自分も娘に同じことを言われるんだろうなぁ・・・