蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

「難しい」「そうですね」だと一歩も進んでないよね

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2021年6月2日 蛻変の記355号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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「社内への導入は難しそうです」
「システム面からも難しそうだね~」

社外セミナーで受講した内容を社内のミーティングで共有する。
そんな場に今日は出席しました。

報告者が話す内容に司会が適宜、質問を入れるみたいな形で進む。
出席者には発言権がないため、ただ話を聞くだけの時間。

セミナーで聞いてきた事例を社内に入れた場合として
報告者のコメントが入る。
「個人によりすぎているので難しい」、「業界が違うので難しい」など
どれも難しいで終わる。
その話を受ける司会も「難しいかもね」で返す。

「こんな話聞いてきました」からの「難しい」で話が終わる。
聞いている側からすると、状況が一つも変わってないんですよね。
成功事例が社外にはあるらしい以外何も残っていない。

事例に近いことを社内でやろうとする動きを止める、という意図があるなら良いプレゼンかもしれない。
社内で同じようなことをやっているため、話を聞きに行ったはず。
難しいアピールをされても、「だから、何やねん」と思ってしまうんですよね。

どの例も難しいばっかやなぁと思って聞いていると、
「難しい」という言葉は使い勝手がいいと思えてくる。
誰もツッコまなかったとのはあるけれど、
「〇〇の点で難しい」と報告すると、聞き手が勝手に難しい理由を補強するんですよね。
同じチームなどで話の前提が揃っている場合、ダメなところもイメージも共有しやすい。

難しいと匂わすだと、相手が話を潰してくれるので、案件を止めたい場合は楽ですよね。
前向きに進めようとしている人には、次へのステップが見えない。
当事者となると時間をとっていることへの対価がないと「う~ん」となるように思います。
自分が話し手の場合は思考停止ワードを使わないようにする。
聞き手の場合はもっともらしいワードがでたら、
「だから、何」とツッコむ癖を付けておきたいものです