蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

誰かの誘いに乗ってみることで気づく自分の強み

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2020年12月24日 蛻変の記261号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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今日はオンラインイベントの打ち合わせでした。
発起人になぜこの会を立ち上げようと思ったのか、
今後どうしていきたいのかというお話を伺う。
そのお話を聞いた上でイベントの方向性を決めるというものでした。

自分で会を立ち上げて、サポートメンバーを集めようとする人の想いを聞くのはいいものです。
まず、熱量がぜんぜん違う。
心の底から自分のやろうとしていることは誰かの役に立つはず!という想いがこもっている。
その想いを受け取るだけで、こちらがエネルギーを貰える。

そうすると不思議なものでこの人のために何かしようと思えてくるんですよね。
自分だけでなく他の参加者も呼びかけに応えて集まった人たちばかりなので、
同じように貢献しようという気持ちにあふれている。

今日は初回のあつまりだったので、発起人の想いを聞いて
企画しているイベントのあり方、目標みたいなものを話し合うだけで予定の1時間は終わりかと思っていた。
想いを共有していると会を運営していく上での土台がすぐに整う。
「こういう会でありたい」というのが15分くらいで決まる。

ピラミッドの頂点とでも言うべきあり方(Being)が決まると、
そのBeingを支えるものをきめていくのは上から下に水を流すようなものでサクサク決まっていく。
考え方の土台がそろっていると打ち合わせが楽だなぁという気持ちになる。
打ち合わせをしていて、急に漫画スラムダンクの場面を思い出されたんですよね。
山王戦でタイムアウト中に赤木が昔を思い出して涙を流す場面です。

自分は発起人ではないけれど、その人の呼びかけに自発的に集まり自律的に動く。
そんな場面がスラムダンクの中の一コマとリンクして、
良い縁にめぐまれたなぁとしみじみ思ったんですよね。
そしてもう一つ感じたのは自分の好きなこと。
自分自身、何かをはじめて誰かに呼びかける「0→1」にすることは苦手だけれど、
1を1.1にするようなフォローすることに喜びを感じるんだなぁと感じましたね。
フォローすることが誰よりも上手いわけではないけれど、
やっていて全く苦にならないということだけは確かだなと感じられる瞬間でした。

きっかけは何であれ、自分でやってみる、動いてみると新たな気付きが得られるもの。
そのような機会に出会えたことに感謝

2020年の振り返り:落ち込みから立ち直るために取り組んだ3つのこと

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2020年12月23日 蛻変の記260号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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2020年もあと僅か。
緊急事態宣言が出たあたりは漠然とした不安しかなかった。
その不安を抱えたまま一年過ごすかなとも思っていた。
そんな状況だったにもかかわらず、今は充実した思いをもって日々を過ごせている。

漠然とした不安から抜け出せたのはポイントは3つあるかなと思っています。
一つは自分のメンターとの対話を通して見失っていた自分を取り戻せたこと。
二つ目はアウトプットを続けることで、やり抜けるという自信がもてたこと。
最後は澤円さんのオンラインサロンに入ったこと。

一番どん底にいたときにメンターの方と話せる機会をもらう。
自分がお願いしたわけではなく、オンライン飲み会をしようと誘ってもらえたんですよね。
自分にとっては蜘蛛の糸のように感じられた誘いでした。

そこから這い上がれたことで、まず自分だけで出来ることをやろうと思って再開したのがブログの更新。
毎日アウトプットを続けるために日々起きることへの感度が高まって来たんですよね

前向きになったところで参加したのが澤円さんのオンラインサロンです。
ここに入ったことで自分のもがいていたことが一気に解消された感じがするんですよね。
自発的に動く人たち、周りをどんどん巻き込んでいく人たちに囲まれる。
その人達に刺激を受けて、自分も動いてみようと思わせてくれる場所。

これまでは自分の気持と周囲の動きにズレを感じ、他責思考もあり内心イライラして過ごすこともあった。
澤サロンに入ってからはそんな気持ちが少しも起きないんですよね。
熱量が高い人が多いので、その熱気にあおられて自分もやってみようと思う。
熱気があるのに、やれよ!という暑苦しさはない。
熱気の渦に巻き込まれると楽しくなり、また別の機会で巻き込まれてみる。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という阿波おどりの歌のように何か試してみたくなる環境なんですよね。

入会人数の制限がある澤サロンですが、若干の空きがあるようです。
安心できる場とは?、会員が主体的に発信するってどういうとこなの?
と興味のある方はぜひ、ご参加ください

lounge.dmm.com

 

 

愛嬌の有無が地雷をさける

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2020年12月22日 蛻変の記259号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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人と関わって仕事をするのに、愛嬌って大事だなと思います。
同じことをしているのに笑って受け止められる人と、怒りを買う人とに分かれることがある。
はっきりと明暗がわかれる事態に今日、遭遇しました。

段取りを説明する打ち合わせで、話しはじめてすぐに、「どう進めていったらいいですかね?」と
説明者のはずが相談者に変わるということがありました。
Aさんの場合、「悩んでいるとおもった」と周りがフォローしはじめて、
みんなでワイワイしながら話をまとめていったんですよね。
かたやBさんの場合、「何でまとめてないの?」と打ち合わせの雰囲気が険悪になる。

打ち合わせに参加している顔ぶれは同じで
「打ち合わせが始まってから役割の交代を申し出る」ということを二人ともしているのに
結果が間逆なんですよね。

AさんとBさんとでは「愛されキャラ」かどうかが大きく違う。
Aさんの場合、自分の経験したことがないタスクでも積極的に巻取り、、
わからないことがあればすぐ相談して周りを巻き込んでいく。
相談するにしても、自分で調べたことや仮説をまとめてからくる。
自分で答えが出ていても、この方向でいいかの確認だけをしにくるんですよね。
自分の頭で考えながらも、自分が動く方向の確認を取りに来る。

かたやBさんの場合、仕事のタスクは振られない限りやらない。
タスクを振られても、自分で進めていく。
相談するように仕向けても、自分の中の100点になるまで相談に来ない。
期限間際に相談に来たかと思ったら、依頼事項と違う内容が反映された資料が送られてくる。
相手の懐に飛び込むのを躊躇して、期限が来てから飛び込んで地雷を踏んでいる。

どうせ起こられるなら早いうちと飛び込むのかどうかの差なんですけどね。
指摘を受けても仕事が前に進めばいいと思えるか、
指摘を受けたくないという自分の自尊心を守るかの差でもある。
「わからないことをわからない」といえる気持ちの違いとも言える。
今日の真逆の出来事を目の当たりにして、自分が何を大事にするかを考える良い機会になった

言葉のブーメランが突き刺さる

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2020年12月20日 蛻変の記258号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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週末になると娘と触れ合う時間が多い分、親としての至らなさを感じることも多くなります。
親として娘に言っていることを娘に指摘されるときによく思います。

例えば娘が「コップ」と言ったときに、「コップがどうしたの?」と返したり、
「主語と述語がないとわからないよ」と返したりします。
相手に伝えるときは「誰が誰にいつまでに何をしてほしいのか」を全部を埋めないとわかりにくいよ、
なんて教えているんですよね。

娘が単語で言ってきたときは反応する前に足りない情報を埋めるように言ってきました。
最近、娘から「パパとママもやってない」というフィードバックをいただきました。
「宿題は?」や「いつやるの?」など娘と同じように足りないまま伝えるときがあるんですよね。
「主語と述語がない」、「どうしたいの?」など普段、投げかけている言葉がそのまま返ってくる。
ブーメランが返ってくるときは、避けることもままならず、自分に突き刺さる

相手に指摘しているのに、自分ができていないという一貫性のない言動は信頼を無くしますよね。
娘だからこそ親にフィードバックされましたが、
きっと職場でも同じことをしているんだろうなと気付かされましたね。
仕事で同じことをしていても、直接指摘するわけではなく、そっと離れていく。
もしくは聞いたふりだけして動いてくれない。
さらには聞く耳すらもってくれなくなる。

気づいていないだけかもしれませんが、今のところ自分の職場ではそこまでに至ってはいないと思っています。
実害が出ているかもしれないので早めに直したほうが良いクセ。
娘がこのようなフィードバックをしてくれるのはありがたい。
次は「自分を主語に」とか「だから、何」とかができてないよねとフィードバックされるかも・・・

問われて気づく今の自分を創ったもの

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2020年12月18日 蛻変の記257号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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システムエンジニアをやっていて楽しかったことはありますか?

今はプロジェクトマネジメントのコンサルみたいなことをやっていますが、
その前は業務系のシステムエンジニア(SE)をしていました。
SE経験があるので、冒頭の質問を知人から受けました。

この質問を受けて、私の中で浮かんだ答えは「楽しかった」一択だったんですよね。
思い出すのも嫌な人、嫌な経験をしているはずなのに、
思い出されるのは楽しいことやSEやっててよかったというものばかり。

「楽しかった」という検索ワードで自分の中を探しているからかもしれない。
だが、「つらかったか」と聞かれると「つらいことばかりじゃない」と今の自分なら答えられる。
家族ででかけているときに会社に呼びつけられたり、夜中寝てるときに電話で叩き起こされたりしてたのに
楽しいと思えるのかが本当に不思議なんですよね。

思い出される楽しかったことを書き出して、見えてきたのがこの3つ。
1.仕事の土台ができた
2.人を見る目が養われた
3.今の自分につながっている

1つ目の「仕事の土台ができた」について。
SEをやる前はコールセンターで働いていたので、自分の仕事が全体の一部だったんですよね。
SEをやってからはお客さまと直接接点があるだけでなく、運用までも関わっていた。
端から端まで関わることができていた。
お客さまの考えだけでなく、製造と保守の考えまで触れる環境にいれたおかげで
仕事の全体感を捉えられるようになったように思っています。

2つ目の人を見る目が養われたについて。
お客さまの直接の接点があったり、運用保守までやったりしていたので、
色んな場面での人の対応が見れたんですよね。
保守費用を最低限に絞った挙げ句、契約外の対応を無償で求めてくる人や、
トラブルがあったら怒鳴るだけ怒鳴って、作業の手を止めてくる人。
他にも嫌な人の例はまだまだでますが、見習いたい人もたくさん出会えたんですよね。
根切り交渉一切しない上に、トラブルがあってもこちらを責めず、対応したことに感謝してくれる人。
一緒に作業しているときは厳しいのに、私の会社の人の前では褒めたり、ねぎらったりしてくれる人。
クレームを受けても是々非々で応答し、自分のことを守ってくれる人などなど。
嫌な人は反面教師に、いい人は自分の目標にしっかり入っているんですよね。

最後に今の自分につながっているについて。
SEとして経験したこと、出会った人のおかげで、
今の自分の仕事で大事にしている「チームの触媒になる」という基本姿勢が身についたんですよね。
プロジェクトチームとして機能するための立て付けや場をつくる触媒となり、チームを変容させていく。
今の自分の核となるものの種を生み出してくれたのが、SEとしての経験でした。

「楽しかったか」と問われて自分の過去を振り返る。
過去の嫌な記憶を美化しているわけではないだろうが、
良い記憶はしっかりと残っているものだと気付かされましたね。
自分が自分と対話する時間を定期的に取ってみる大事さに気づけた良い機会です

「また同じこと言ってる」となるまで言い続ける

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2020年12月17日 蛻変の記256号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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大事なことはできるようになるまで何度でも言う

よく言われることですが、なかなかできていない。
その原因は2つあると思っています。
言うことに対して自分が飽きてくる。
伝えたいことに対しての自分の熱量が下がってくる
一つのことに対して枝葉を付けている

自己矛盾なんですけどね。
本当に大事だと思っていたら出来るようになるまで熱意は続くはずはんですよね。
一回でわからなければ、二回。二回でわからなければ三回と言い続けないといけない。
相手が復唱できるほどに。

さらについでにこれもと付け足すから相手は余計に混乱する。
伝えるべきことは一つにしてシンプルに伝える。
さらに出来るようになるまで何度でも。

娘にも仕事相手にも言葉数を多くしすぎて、行動の一歩目を止めていたので、
短く、一言のメッセージに思いをこめる。
まずはそこから改善。思い立ったら即行動

「また、この人のために頑張ろう!」となるかは、たった一言で決まる

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2020年12月16日 蛻変の記255号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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チャットで職場の人と雑談をしていたときのことです。
普段は早めに変える人なのに、昨日は遅くまで残っていたのが、
気になったので、声をかけたんですよね。

役員クラスのお客さま相手に上位職の人二人の計三人でプロジェクトの状況報告をしていたらしく、
今後の対応含めて遅くなったとのこと。
「大変やったね」と声をかけながら状況を聞く。
ひとしきり聞いて、「お連れさんでした」と会話を終わらせようとした。
「そういえば」と続けてきたので、何かと思っていたら、
「打ち合わせ中、お客さまからはねぎらいの言葉をいただいたのに、
 自分の会社の人間からは一言もなかったんですよね」と。

しんどい思いをしているときに投げかけられるたった一言。
その一言のありなしでやる気は大きく左右させられると思いましたね。
特にこのお客さまは傍からみていても「人を動かす」というよりも
人がこの人のために動きたい」と思わせてくれるような人なんですよね。

上司に当たる人間の前で認めたり、情報を取りに自分から席に来てくれたりする。
自分がしたいと思ったことをやってるだけとおっしゃっていたのですが、
思いやりを見える形にしてくれるのは、ありがたいもの。
思っていても口にしてくれないとわからない。
「ねぎらい」というたった一言の心の報酬をその場で渡す。
それだけでも報われた気がしますし、「また、この人のために頑張ろう!」という気になる。

適切なタイミングで心の報酬を渡している人もいれば、
心の報酬を渡している現場を目の当たりにしているのに、何も言わない人もいる。
対比が明確なので、余計に信頼貯金の残高を減らすんですよね。

ねぎらいの言葉をかけるには相手のやっていることに関心を持たないとできないもの
その人自身に興味が持てなくてもやっていることのみに焦点をあてれば、言葉はみつかる。
何か一仕事してねぎらいの言葉をかけてもらえないのはやっている方からすると
「興味がない」と言われているに等しい。

今回の件を他山の石として自分の関心を持つ範囲を広げないとですね