家事をせずに休養させてもらえるありがたみ
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2021年4月14日 蛻変の記327号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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昨日は仕事をしていると、夕方から頭痛と吐き気に苦しめられていました。
なんとか19時まで作業し、そのままベッドに直行して横になる。
気づいたら朝の犬の散歩の時間という生活を送っていました。
在宅勤務だからこそ仕事終わりに即休息できる。
仕事終わりの移動がないありがたみを感じました。
それ以上にありがたみを感じたのは妻の存在です。
お風呂上がりの子どもの世話とか、食器の片付けといった夜のタスクがある。
子どもの世話はともかく、起きたときに食器洗いは残っているかなと思いきや
きれいに片付いていた。
私は体調悪いと言えば、すべての家事、育児を放棄している間に
すべて妻がフォローしてくれている。
本当にありがたい。
逆に妻が体調悪いときは、全て私がやっているかというと、そうじゃないんですよね。
妻が気になる家事を何かしらやっている。
子どもの世話を私に任せるとゆっくり休んでいられないというのはあるかもしれない。
休むとなったらすべてを投げ出す夫としんどくても何かしらする妻。
自分で書いていても、無責任というのか、気楽なものだなと思う。
ゆっくり休ませてくれる存在がいるからこそ、休養に専念できる。
元気な時に少しぐらい家事を手伝ったところで、「家事をやってますよ」という顔は私は出来ない。
家族というチームに対する責任感と貢献度が妻とは違いすきますからね。
昨日休ませてもらった家族に何が恩返しができるかなと考える。
ネガティブな感情を面に出して、家庭内に不穏な空気を作り出さない。
感情で伝えるではなく、感情で伝えるようになる。
それができるようにならないと、と改めて思ったときでした。