手段にはまると、目的を見失う
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2021年5月23日 蛻変の記349号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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今日は初めて「Scratch(スクラッチ)」に触れました。
Scratchは無料で利用できるプロラミング言語です。
ブロックをつなぎ合わせるだけで、コードを書くことなくプロラミングすることができるものです。
小学校でプロラミング教育が必修化されたこともあり、
家でもやらないとなぁとは思っていました。
プロラミングそのものでなく、プロラミングの思考は学んでほしいと思いつつ、
小学三年生になる娘が興味を持っていないのに無理やり教えるのも違う。
新聞やニュースで見かけては、「小学生でもこんなことできるんだねぇ、すごいねぇ」みたいな
独り言をしては、娘が引っかかってくるのを待つ。
新聞を見ながら独り言をつぶやいていたら、「やってみたい」と食いついてくる。
スイッチが入ったかどうかわからないので、「週末になったらねぇ」と泳がしていたんですよね。
昨日になり「週末だけどいつやるの?」と娘から聞かれたので、今日やってみることにしました。
ネットにも色々情報はあふれているScratch。
見ながら作業するのは本がやりやすい。
Scratchへのサインインだけ親がして、本とタブレットを渡して放置することにしました。
ブロックを配置するだけなので、直感的に操作ができる。
コードを書かないので、本は流し読みでも出来る。
質問を受けても自分の好きなようにやってみたら?と側でみるだけにする。
目的はどうやってプログラムが動くのかを感じてもらうこと。
動くプログラムをつくることが目的じゃないんですよね。
自分が何をどういじったから、プログラムがどうなるのか。
親の願いとしてはScratchにふれることで、プログラムについて考えるキッカケにしてほしいというもの。
Scratchをどんどん触って、いろんなものを作ってもらいたいという思いはあっても、
そこは重要ではない。
行動を積み重ねていくなかで、本来の目的が失われていくのはよくあることですよね。
例えば、会議の議事録。
本来は会議のプロセスを可視化し、次へのアクションを共有化し、
参加していない人にもそれをみれば、わかってもらえればいいくらいのもの。
それが、誰がどのように発言したかを事細かに記録する。
さらに時間をかけて精緻なものにしてから回覧を回して承認をもらう。
結果的に議事録作成のための時間が増える。
次のアクションに向けた共有認識のためで済むはずが、過去経緯を遡れるような資料に変わる。
本末転倒ですよね。
今回のScratchとの関わりも娘本人がプログラミングにはまって、
コード作成に夢中になっていくのは望外の喜び。
プログラムに触れるならコードも書けるようになれとすすめるのは目的がずれてくる。
手段にはまり込んでいくうちに本来の目的を見失わないようにしたいものです