蛻変(ぜいへん)の記 ~変化を常態化する~

「チームビルディング」と出会い、自分のあり方と周りへの伝え方を変えることで、周り人が手伝ってくれるようになる。「チームビルディング」の考え方や日々の気付きについて発信しています。

自分の中でアンテナが立てるから情報が集まる

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2021年1月11日 蛻変の記275号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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「8/11」

何の数字かと言うと、今年に入ってから日中、娘と過ごし日にちです。
こちらのブログで色々書いていますが、娘が大きくなるにつれて一緒に過ごす休日が憂うつだったんですよね。
「可愛いか?」と聞かれれば即答できるほどの存在なのですが、
成長するにつれて私の負の感情を揺さぶられることが多いんですよね。

一度、自分の心に眠っている負のスイッチを入れられると、自分で自分を止められない
その前に感情を抑え込んでいると、その反動もでより強く爆発する。
いわゆるキレていました。

ここ4、5年ほどキレる状態から抜け出したいとあれこれや試していました。
昨年の上半期に、体に馴染み始めた感はあったものの、
それでもまだ暴発することはありました。
自分の中でカベを乗り越えられたのはワンちゃんを飼うようになってから。
ワンちゃんのお世話をするようになり、娘が生まれたばかりのことを振り返るようになる。

昼間は妻が一人で娘の世話をしていたので、夜ぐらいしか手伝えない。
早めに帰宅して、寝かしつけから夜泣きの対応をしていた。
キレることはなかったあの頃とキレることがある今。
その違いは自分の中では、ハッキリしていた。
「成長した娘に過去の自分を投影している」
ただそれだけ。
分かっていても乗り越えられなかった。

年末年始の休みに入る前に妻から一言もらう。
「今年はどこにも行かないから、平穏な年末年始を過ごしたい。
 そのためにはどうしたら感情をコントロールできる?」
その場で妻に改めて、過去の自分を投影していることを相談する。

妻から提案を受ける。
「あなたはあなた。娘は娘。それぞれ別の人間なのを尊重して。
 感情が昂ぶってきたら、私に思いをぶつけてから役割を交代しよう」

このような言葉はこれまでももらっていたのですが、
自分で受け止められていなかったんですよね。
自分で自分をコントロールできない人間を認めたくないからか反発していた。
お互いにきちんと話せるような機会が増えていたからか、すっと受け入れられるようになる。

そのおかげで、自分の中で何か整理ができたのか、年始から穏やかに過ごせている。
仕事も休みなので、たまたまで三連休どうなるかなと思っているところに
月刊誌『致知2021年2月号』の特集ページの言葉が目に入る

「自靖自献は一対だが、ポイントは自靖にある。
 自ら靖んじていない人ー
 事あるごとにイライラしたり不平を言ったり人と衝突ばかりしている人が、
 人のために尽くすことなどできるはずがない
 だが、自靖しているだけで、自献しない人、自献できない人は人ではない。
 動物にも劣る」

この言葉を読み、自分の中で大いに反省させられる。
家庭内で自分の心を平穏に保てない人間が、家族に安心を与えられるわけがない。
家族のために尽くしても、自分の心が荒ぶっていれば、そこに安心はない。
自分の心の安らぎが周りに広がるように接していく。

家庭内でイライラしていた自分はまさに動物にも劣っていた。
「自分の心をよく見つめて、平安を保つ」と自分の中でアンテナを立てると類することが引っかかってくる。
自らを律しながら、自靖自献の生き方を掴んでいきたいものです。

言葉や眼の前のことに反応しないために別のことで心を満たす

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2021年1月10日 蛻変の記274号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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自分の思い込みを外すことで見えてくるものがあるという話を昨日しましたが、
今日もその続き。

同じ人を相手にするとき、常に初対面のような気持ち、色眼鏡を欠けずにみるのが大事。
大事だとは分かっていても、実践となるとなかなかやりきれていない。
人は欠けているものがあると自然とそこに目が行く生き物。
できていることよりもできていないことに注目する。

丸を書こうとして「C」になっていると、書けている部分より
欠けている部分が気になる。
人の場合、欠けている=できていない部分なので、そこに対しての修正に熱が入る。
熱が入るだけであればよいが、口調がきつくなったり、イライラしたりと
自分の感情を害して、相手を責めることになる。

私がこの思考に陥りやすいのは娘と接しているとき。
勉強やピアノの練習を見ていても、注意したことができていないとイライラしてくる。
自分の心の中が指摘事項で埋め尽くされているんですよね。
どう指摘するかという一点のみに意識がいき、他が見えなくなっている。

昨日、偉そうに違う一面を見ましょうと書いておきながら、
今日も同じ過ちを繰り返しそうになったんですよね。
自分の感情の波が高くなってくるのを感じましたが、今日はなんとか乗り切る。
自分の中でザワザワするのを感じたときに、まず昨日見た富士山をイメージする。
イメージを持ちながら自分の中でひたすら「ありがとう」を唱え続ける。
心の中を「ありがとう」だけで埋め尽くす。
ひたすら自分の意識を違うところにもっていく。

区切りの良いところで、声をかけるのだが、オープン・クエスチョンで問いかける。
「ここはどうやって弾くんかな?」とか、「ここはどうやって書いたほうがええと思う?」みたいに声がけ。
ひとまず相手の考えを聞くようにする。
考えを聞いた上で、理想の状態と手段を確認。
こうすることで、今日一日は声を荒げることなく過ごすことができた。
できたとはいえ、たった一日。
明日も休日のため、娘と接する時間が多い。
心の平安を保てるか試せる絶好の機会。
この機会を生かして、「わかる」から「できる」にまでいきたいものです。

同じ場所からでもタイミングをずらすと違う景色が見える

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2021年1月9日 蛻変の記273号

今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。

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週末は朝がゆっくりできる。

娘の登校時間や仕事開始など時間のしばりから開放される。

いつもは時間が気になるワンちゃんの散歩も週末仕様になる。

いつもと違う道を通ったり、距離を伸ばしたり気の向くままに散歩します。


今日もルートを変えながら散歩。

いつもは薄暗い中、通る畑の真ん中を太陽が が上りきってから歩く。

畑の奥に雪化粧した富士山が見えたんですよね。

近所の商業施設の高さのある駐車場から富士山が見えたことはあった。

うちの近所からは高さがないとみえないと思っていた。

平坦な場所で見えたことに驚きだった。

数m歩くと見えなくなったので、その角度からのみ堪能できる景色。


いつも通っている道なのに、全く気付いていなかった風景。

そこに常にあるのに、見ようともしていなかった。

これは子どもや仕事仲間も同じことが言えるなと思ったんですよね。

自分が気付いていないだけで、本人たちは色々とやっている。

それぞれが取り組んでいることが自分の目には何も見えていない。


自分が見ているのは相手の一部だけなのに、それが全てとして捉える。

自分の見方で勝手に相手を決めつける。

自分の住んでいる地域では高さがないと富士山が見えないと思い込んでいるのと同じ。

時間や場所を変えたら違う一面が見える。

そんな姿勢をもって人と接していきたいと思った週末の朝。

第三者の意見を元に目線を合わせる

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2021年1月8日 蛻変の記272号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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最近、小学2年生の娘との接し方について妻と良く相談するようになった。
在宅勤務になって話せる機会、時間が増えたのはありますが、
音声メディアを活用するようになったのが大きい。

今、夫婦で聞いているのがVoicyで配信されている石田勝紀さんの「Mama Cafeラジオ」。
30年以上にわたり4000人以上の小中高生を直接指導してきた石田さんが
子育て相談や教育相談を元にお話してくれる番組です。

この番組を聞くようになったのは、「テーマ・時間・抽象度」が私たち夫婦に合致していたから。
番組で取り上げる実際のママからの子育てや教育相談がテーマなんですよね。
これは自分たちが直面している課題に近い話があるため、興味・共感をもちやすい。

2つ目の時間について
1回の放送時間が10分くらいなので、仕事の合間や昼休みに聞きやすい。
直近、娘とぶつかった出来事に近いタイトルを選んで、妻に共有する。
一息入れるときに一緒に聞いたり、それぞれで聞いたりするのですが、
10分くらいと短いのでその日のうちに聞くことができる。

3番めの抽象度について。
これまで教育問題を話すとき、自分たちの経験上でしか話し合えなかったんですよね。
お互いの正義がぶつかりやすい。
近所の知り合いの話を持ってこられても、その家庭固有の話のため、お互いに聞く耳を持たなかった。
この番組の場合、身近な相談という個別具体的な話から抽象度をあげて話してくれる。
問題の本質はここではないか、という話をしてから具体的な話にもどしていく。
これまで夫婦での会話はお互いの正義をぶつけるだけだったところに、
抽象度を高めた考え方を与えてくれる。
その考え方を元に夫婦で会話ができるため、ぶつかることなくお互い相談ができるようになる。

手や目を使うことなく、情報を受け取れるのが音声メディアの良いところ。
本などの場合、仕事の片手間ではできず、時間を取る必要がある。
相手が読み終わっているのを待つのに時間がかかることが多い。
読み終わるのを待っているとが話したいときに話せずもどかしくなる。

「Mama Cafeラジオ」では自分たちが気になるテーマについて、短い時間でプロの意見が聞ける。
夫婦間で前提が揃う上に、気になっているときに話し合いができる。
やる気のあるときにお互い話せるのでストレスが少なくなったような気がします。
三者の意見を元に自分たちの考えをすり合わせることで、夫婦の目線が合わせられる。
娘への接し方が目に見えて変わるのはまだまだかかるかもしれないけれど、
夫婦の足並みが揃っている感があるだけでも少し進歩

やり続けるために休んでも良い期間を決める

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2021年1月7日 蛻変の記271号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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毎日続けようと思っていても何かしらの理由をつけて中断することがあります。
私にとってはこのブログがそうですね。
昨日は体調が悪く、寝て回復!を優先して更新をお休みしました。

他にもワンちゃんの体調不良での夜間対応でしんどいからと更新していない日があります。
毎日更新を目指していますが、自分の中で絶対視をしているわけではないんですよね。
他に優先順位が高いものをやってからと思っています。
自分の中でのルールとして
24時間以内に更新できなくても、48時間以内にはやる
と決めています。

毎日続けなくても良いという自分に許しを与えてるのと同時に、
またやらなかったという思いを引きずらないためのもの。
続けていたものが途切れるというのは、「できなかった」という思いになる。
自尊感情が傷つくんですよね。
まだ、次の締切があるよ、というふうにしておくと「次こそは!」と思いやすい。

48時間以内としているのは、まだやろうと思える気持ちが保てるから。
自分のこれまでの経験上、3日あけると「もう、ええかな」とか
「また、今度」という気持ちが強くなる。
「さぁ、やるぞ」という気力が湧くのに時間がかかるんですよね。
いろんなことをやってはやめを繰り返す中で見つけた自分のやる気を保てる期間が48時間でした。

「毎日続ける」を目標に取り組むのは大事なこと。
続けることを目標にすると、途切れたときのダメージが大きい。
そんなときに途切れたままにしないための心の準備をしておくと、
また、再開しやすいと私は思います。
決して、昨日更新しなかった良いわけではないですよ・・・

イラッときたときこそ、自分のやり方を見直す

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2021年1月5日 蛻変の記270号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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1月7日にも緊急事態宣言がでるかもという状況になっていますね。
小学生の子どもを持つ親として気がかりなのは、学校の対応です。
今のところ一斉休校はしないと言われていますが、どうなることやら。

三学期が始まる前に状況が変わって来ているため、
保護者あてに新型コロナの感染拡大防止への協力依頼メールが小学校から連日送られてくる。
小学校からのメールは私にとっては引っかかるときがあります。
私が度量の狭い人間だからというのはあるかもしれませんが、
「ふんふん」と読み切ることが少なく、「ん?」となるんですよね。
今回、引っかかったのはこの一文。

「登校後に体調を崩す場合があります。直ちに迎えに来る態勢を整えておいてください。」

何も気になることはないのでは?と思う方もいらっしゃると思います。
我が家が共働きの環境だからか、子どもに何かあったときに、
保護者はすぐに迎えに来てください的な表現は引っかかる。
小学校側の立場も理解できるけれども、もう少し違う表現はないものかなと思うんですよね。

このようなメールをもらうと、自分を振り返る良い機会になっています。
特に「受け手のことを自分もどこまで想定できているのか?」と「自分ならどのように書くか?」とを
自分に問いかけています。

今回で言えば、受け手には共働きもいれば、専業主婦(夫)やひとり親家庭、日本語が得意でない家庭などなど考えられる。
これも他人が書いたものなので、批判しやすいんですよね。
普段自分がメールを書くときに、どこまで相手のことを考えて書けているかと言われると
はなはだ心もとなくなる。

次に考えるの自分ならどのように書くか?」ということです。
受け手の想定をした後に、自分だったらどのような表現を使うのかというトレーニングの機会にしています。
自分にお題をだして、ワークをしているような感じ。
今回の一文を自分ならこのように書くと思います。
「登校後に体調を崩した場合、症状によっては保護者に連絡する場合があります。
 その際はできるだけ早くお迎えにきてくださいますようお願いします。」
この表現が良いかどうかは別として、頭を使うトレーニングになります。

今回の小学校からのメールのように自分の中の正義とぶつかると批判しやすくなるもの。
他人を攻撃する気持ちが浮かんだときは、自分の行いを振り返る機会にしたいものです

「なぜ、できていたか?」を振り返ることで再現性を高める

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2021年1月4日 蛻変の記269号
今日も自分の中に起こった「?」や「!」を書いていきます。
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新年早々、うちのワンちゃんが体調を崩して下痢を繰り返す。
昨日の夕方から2、3時間おきに外に連れていき、排泄と少し運動。
今朝になって落ち着いてきたのか、ワンちゃんは眠りにつく。

淡々とワンちゃんの世話をしていると、
妻と「娘の夜泣きがひどかった頃思い出すね」と少し昔語りをするついでにフィードバックをもらう。

「夜泣きがひどくて、私は苦しかったのに、のあなたは文句もイライラもせず対応していた。
 今は娘とのコミニケーションでイライラすることもあるけど、あの時はカリカリすることもなかったよ。
 会社でどうだったかは知らんけど」
と言うフィードバックをもらいました。

さらに
「小さい子とかワンちゃんみたいに言葉が通じない相手にはすごい落ち着いて接することができてるよ」とも。

朝一から的確なフィードバックをもらいハッとさせられる。
確かに娘の夜泣きや体調が悪い時などの世話をする時はイライラしてなかったなと思い出す。
そこから、どうしてできていたのかを考えると3つくらい浮かんでくる。

1.自分のコントロールできることに集中
2.次の行動プランを用意
3.相手の行動変化はご褒美

1つ目の「自分のコントロールできることに集中」は相手が赤ちゃんやワンちゃんなど
言葉を通して相手に働きかけができることはほとんどない。
相手をどうこうするよりも、自分がどうあるか、何をするかなど自分ができることにのみ集中する。
文句を言って何か変わる相手でもなかったので、言う気も起こらなかっただけかもしれません。
目の前のことに自分ができることのみにフォーカスしていたように思います。

2つ目の「次の行動プランを用意」は自分が動いた後、結果に変わりがない場合、次の行動を予め用意しておくです。
赤ちゃんの夜泣きの場合、抱っこしても泣き止まないなら次にどうするか。
しばらく抱っこしても泣き止まないなら、次はどんなアプローチをするか。
予め準備しておくことで、自分の行動により集中できるように思います。

3つ目の「相手の行動変化はご褒美」は、相手が変わってくれたら儲けもんくらいの気持ちでいるということです。
自分が望むゴームに辿りつくまで自分の行動に取り組む。
結果として、相手が変わってくれるのはあくまでご褒美。
自分ができることを淡々とこなす。結果として変わってくれたらいいなぁという感じですかね。

妻からフィードバックをもらい、「どうしてできていたんだろう?」と考える。
「自分はなぜ、できていたのか」を考えるのは、自分の行動の振り返りだけでなく、
似たような状況での再現性を高め、今できていないことへの改善に取り組める。

最後に妻から受けたトドメの一言
「昔できてたんだから、今もできるはず。どうしてできなくなったかを考えてみて」
これが次の課題です・・・